院長コラム
ラ・クリニカは開院18周年を迎えました。これも、何度もご来院頂いてる多くの患者様のおかげと、スタッフ一同、心から感謝をしております。
ラ・クリニカは開院18周年を迎えました。これも、何度もご来院頂いてる多くの患者様のおかげと、スタッフ一同、心から感謝をしております。
梅雨になると雨は嫌われることも多いのですが、古来、日本では雨の神様が与えてくれた「恵みの雨」とも考えられていました。雨の神、山の神、さまざまな神様が与えてくれた自然の命、すべてが神聖なものと考えられました。八百万の神という考え方です。
ですから食べるということは、命をいただく神聖なものとも考えられてきました。
神聖な自然界とそうではない人間界の区切り、
つまり日本では結界を作るという意味で、
一番手前にお箸を横向きに置きます。
日本では、食事をする前に「いただきます」という言葉を使いますね。
命をいただく感謝の言葉を伝え、お箸を持つことで結界をときます。
「食べる」ということは、神聖な食べ物、命をいただくという行為なのです。
お箸を持つことは神様の世界に入ることなのです
坂本龍一さんがいなくなって1年が経ちました。
彼は天国でどう思っているのでしょう・・・
1年前と比べて世界は良くなりましたか?
悲しみはもっと多く、大きくなっていませんか?
考え続けることが人類の義務ですし、絶対に諦めてはいけないと思います。
1年ぶりにこの写真をクリックして またこの曲を聴いて考えてください。
もうずいぶん前ですが、夜の救急外来が変わりました。
変わったのは、子供のケガの処置です。
それまでは『お母さんの前で』、ケガをした状況を聞いて、ケガの治療をして、
何かあったら教えてくださいね、それで終わりでした。
ところがお母さんには診察室の外に出てもらい、
診察室の戸も閉めて、僕が子供の気をそらしているうちに、
看護婦さんがその子のカラダ全体を調べるようになりました。
看護婦さんはアザやヤケド、栄養失調がないか、
つまり児童虐待を調べていたのです。
数日前にも子供を殺した親がニュースになっていました。
こんなことをする動物はいません。
殺し合いも続けて・・・
いったい今の人間は何なのでしょうか・・・
ささやかでも心があれば・・・と思います
『人の想像力はとても弱いから、隣に座っている人の悲しみに気付き、想像することさえ、難しい。』と年末のコラムに書きました。
でも隣に座った人の悲しみを想像できないということは、その人の優しさ、思いやり、愛情も想像できていない、気がついていないということなんです。
ということは、自分では気がついていなくても、あなたはたくさんの優しさ、思いやり、愛情などに囲まれているということになります。
人は時として、孤独にさいなまれ、だれも自分のことを思ってくれていない、などという気持ちになることもあります。
でもそんな時でも、いつでも必ずあなたはたくさんの優しさ、思いやり、愛情に囲まれているのです。
このことを決して、絶対に忘れないでもらいたいですね。
3.11の時、クリニカのスタッフのお兄さんは警察官として、まだ開通1年以上も前の第2東名を走って東北に行きました。
現地のあまりの悲惨さに、帰ってきても現地のことは何も言わなかったそうです。
そして今、また同じようなことが起きています。
あの頃から僕たちはどれだけ進歩したのでしょうか?
人災の多くは人のミスが重なっておきます。
事故が起これば調査して、結局は誰にミス、責任があったということになります。
ニュースを見ていると、犯人捜しか?と思える時もあります。
でも原因を調べる目的は、決して犯人捜しではないのです。
人は誰でもミスを犯します。
その時、事故にならないようにするための方法を見つけることが調査の目的なのです。
またテレビで事故の映像がたくさん流れます。
でも亡くなった方もいるのですよね。その家族はテレビなんかつけられないですよね。
犯人捜しもですが、テレビには思いやりが足りないように思えます。