静岡市駿河区の美容外科、美容皮膚科、
医療脱毛女性専用クリニック
ラ ・ クリニカ シズオカ  医療法人社団  静美心会

院長コラム

ラ・クリニカは開院20周年を迎えました。これも、何度もご来院頂いてる多くの患者様のおかげと、スタッフ一同、心から感謝をしております。

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バックナンバー(2015年版)

2015年12月30日 お正月はなぜ「おめでとう」なのか?

 日本人が1日だけキリスト教徒になるクリスマスも終わり、もうすぐ「あけましておめでとう」です。ではどうしてお正月は「おめでとう」なのでしょうか?クリスマスなど色々なイベントがありますが、お正月以外で「おめでとう」と言うのは・・・誕生日ぐらいですよね!そう、元旦はみんなのお誕生日なのです!?

 昔の日本では誕生日は誰でも元旦だったのです!日本人の、いわゆる平均寿命は江戸時代には30才、50才を超えたのも戦後のことなのです!つまり1年間を無事に生き延びるということは大変なことだったのです。ですからお正月になると、1年間無事に生きてきて、お誕生日「おめでとう」と言うようになったのです。

 僕もまた1年間生きさせてもらい、元旦を迎えられそうです。感謝&感謝。

2015年12月06日 エアメイル

 先日、町を歩いていたら「もう着くよ」と言いながら女性が僕を追い越して行きました。その女性はスマホで相手の顔を見ながら話していたのです。その後ろ姿を見て、まだスマホもインターネットもなかった頃のことを思い出しました。

 彼女が海外に留学するとき、成田から「今から行ってきます」という涙声の電話をしてきました。それぐらい海外が遠かった頃のお話です。

 国際電話なんて高くてかけられなくて、片道5日の手紙だけしか連絡の取り方がありませんでした。ポストにエアメイルが入っていると、部屋に駆け込んで何回も何回も読み返しました。僕が初めてアメリカに会いに行った時も、「手紙は着いているだろうか?」「空港に来てくれているのだろうか?」と顔を見る、その瞬間まで心配・不安でいっぱいでした。でもその分、会えた時の喜びもひとしおだったのです。

 今は世界中のどこにいてもスマホで顔を見ながら話すことができます(しかもほとんどタダで!)。「会えるのだろうか?」なんて心配はこの世の中から消えてしまったようにも思えます。でも会ったら嬉しいだろうし・・・昔と今とどちらの方がいいなんてないでしょうが・・・

 その後、僕の力の無さで彼女とは会えなくなってしまいました。でも、あの会えた瞬間は今でも忘れていませんし、時間にも負けないつもりです。

 あなたにもそんな瞬間が、たとえそれが片想いだったとしても、あったはずです。そんな素敵な瞬間を忘れてしまったらもったいないです。たまには思い出してください。思い出した瞬間、あなたはもっと輝くはずです。

赤と青が懐かしく、少し切ないような・・・(クリックしてみてください)
「遠距離恋愛」という言葉も聞かなくなりました。JR東海も粋なCMを作っていたんですねぇ。

2015年10月28日 かつて外科医は役者だった!?

 な~んて書くと僕が子役でドラマに出ていた・・・なんて思う方はいませんよね(^_^;

 今では癌の告知は当たり前のようになっていますが、かつてはほとんどありませんでした。世間ではまだ、癌=死・絶望と思われていた頃の話しです。

 当時はたいていの場合、患者さんの家族から「本人には癌とは知らせないでください」と頼まれました。ですから本人には嘘の病名を告げるのです。

 ところが嘘というのはいったんついたらず~っとつき通さなければなりません。次から次へと出てくる症状について患者さんに嘘の説明をし続けなければなりません。検査結果が目を覆いたくなるような深刻な結果でも、患者さんには「大丈夫でしたよ」と笑顔で言わなければなりませんでした。でも僕だって人間です。深刻な気持で笑顔を作るのは容易ではありません。

 そんな患者さんの病室に行く時、その病室のある廊下へ曲がる前に、僕は自分のほっぺたをパンパンと叩いて、思いっきりニッカーと笑って笑顔の練習をしました。

 静岡に来て、美容外科を初めてもうすぐ9年になります。たくさんの患者さんとお付き合いをしていると、患者さんが病気になって病気の話しになることもあります。そんな時、僕の気持ちや身体は、一瞬にしてあの頃に戻ってしまいます・・・職業病ですね(^^ゞ

2015年09月20日 何を持って逃げますか?

 何を持って逃げるか?と言っても、彼や御主人に三行半(みくだりはん)を突きつけた時に何を持って逃げるかではありません(それも大事かもしれませんが^_^;)。

 先日テレビはどこも大洪水の特集をしていました。でもその後はパッタリとなくなってしまいました。一時のお祭りではないのに(-_-#)と思いました。まぁマスコミなんてそんなものですから放っておいて、自分たちのことを考えましょう。

 静岡だっていつかは必ず地震や津波が来るのです。洪水にもなるかもしれません。その時に何を持って逃げるか?ということです。

 僕がまだ小さかった頃、母に聞かれました。「家が火事になったら何を持って逃げる?」僕の頭の中にはおもちゃぐらいしか浮かびませんでした。母は「出来るなら、アルバムを持って逃げなさい」「お父さんが写してくれた写真を持って逃げなさい」と言いました。僕が???となっていると、「お金や高価なものは無くなったってどうにかなる。想い出は大切にしないといけないよ」と言いました。父の記憶はほんの少ししかありませんでしたが、弟と3人でアルバムを本棚の上から、すぐ手の届くところに移しました。

 さて、皆さんは何を持って逃げますか?大切な命を持って逃げるのはもちろんですが。

追記:前回のコラムで紹介したジャンティさんが、9月末で50年以上の歴史に幕を下ろすことになってしまいました。またひとつ、名店が幻になってしまいます。

懐かしい国、チリでまた大地震・津波が起きました。心が痛みます。

2015年07月25日 星 流る

 梅雨が明けて夜空には夏の星がきらめくようになりました。夜空の星はその場所も変えずに光り続けます。しかし流れ星になるとあっという間にその光は見えなくなってしまいます。

 過日、一つの星が流れ星になりました。輝いていた星が流れ星になってしまいました。その星は静岡が日本に、いえ世界に誇れるチーズ・ソムリエのパイオニアとも言える女性でした。洞爺湖サミット(先進国首脳会議)では各国の代表にチーズを提供しました。人としてももちろん素晴らしい方でした。

 僕が静岡に来て9年近くが経ちますが、静岡でこんなにも悲しい、悔しいことは初めてです。でも僕は泣きません。だって、僕なんかよりもはるかに悲しく無念なのは流れ星、本人だと思うからです。

 僕が生きている限り、これからどれほどの流れ星を見送るのかは分かりません。でも夜空の星を見上げられるということは、僕はまだ生きているということです。流れ星になった星の分までまだまだ頑張らなくてはと思います。

 星の光がひとつだけ見えなくなりましたがお店は輝いています。このお店を始めて50年以上のマダムがカウンターにご健在です!静岡でワインやチーズを味わうならば、絶対に外せないお店です。絵をクリックすると「レストラン&バー・ジャンティ」のサイトに飛びます。

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