院長コラム
ラ・クリニカは開院18周年を迎えました。これも、何度もご来院頂いてる多くの患者様のおかげと、スタッフ一同、心から感謝をしております。
ラ・クリニカは開院18周年を迎えました。これも、何度もご来院頂いてる多くの患者様のおかげと、スタッフ一同、心から感謝をしております。
と言っても、忘年会で食べ過ぎたわけではありません。
今年も嬉しいこと、悲しいことが色々ありました。人生でそう何回もないような大きな悲しみもありました。でも人の心ってうまく出来ているのですね!
大きすぎるものを食べたら、お腹は消化不良を起こしてしまいます。でも、人の心は、消化不良なんて起こさずに、ゆっくりとですが悲しみを消化していくのですね。
食べた悲しみは大きいほど、思いやる力を増してくれると僕は思います。例えば、1センチの悲しみしか食べたことがない人は、1メートルの悲しみに思いを馳せることは難しいと思います。大きな悲しみ、こいつはやっかいなのですが、人の悲しさに思いを馳せる力を大きくしてくれる・・・そう思いながら年が暮れていきます。
誰にでも、そして来年も再来年も、悲しいことがあると思います。でもその悲しみを食べて、栄養にして、もっとパワーアップしてください。
色々な写真、絵、そして実際の風景に色々な意味で目を奪われることがあります。この写真を見た時は、「なんて素敵な風景なんだろう」と心が打たれました。
と同時に、うらやましいとさえ思いました。自分の意志や気持とは裏腹に時代に翻弄されたこともあったでしょうし、大病もあったと思います。でもそれらを乗り越えてこんな素敵な表情、風景になれるなんて・・・僕もなりたいなぁと思いました。
でも、うらやましがっているだけでは何も変わらないですよね?『素敵』とは、見た目の表面だけではないと思います。そして『素敵な女性の第一条件』は健康で長生きすることだとも思います。
さて、僕も、少しでも素敵になれるように頑張らなくちゃ・・・
夏も立秋を過ぎて残暑になりました。この時期、小学生だった僕は1年の中でも最も忙しい繁忙期でした。何がそんなに忙しかったのか・・・セミ取りです。
当時の僕はランニングシャツに半ズボン、ゴムぞうりを履いて毎日走り回っていました。シャツを着せられても、うっとうしくて、シャツはすぐに脱いで玄関の脇に隠していました。
そんな僕の姿を見つけた母が怒りました、「山下 清さんじゃないんだから、シャツはどこ?」でも、へんてこりんな子供だった僕は(変な子供についてはまたコラムで書きますが)、母の怒りにもめげず、夏休みの宿題のことも忘れて木から木へと走り回っていました。
中学生になって山下清さんを知り、その絵と出逢い、僕は思いました。障害なんてない、みんな個性だ、と(以前のコラムにも書きましたが)。
※山下 清:画家、1922〜1971
お帰り!1年ぶりだねぇ。何年経っても記憶の中の君は、声も笑い方も研修医だったあの頃と全く変わらないねぇ・・・。
いつもは空の上からかな、君が僕を見ているのは。あれからも、僕はオペでも検査でも、人一倍勉強してきたつもりだよ。でも、今の僕のオペや治療を見て、君は何て言ってくれるのかな?「まだまだ修行が足りないな」と言うのかな、それとも「ちょっとはましになったな」と少しは褒めてくれるのかな?
送り火の日まで、近くで僕の治療を見て勉強していったら?あれからオペや治療もずいぶん変わったからね。夜には一杯おごるから・・・
5月のすがすがしい夕方の風景です。僕はちびまる子ちゃん電車(※1)の1両目と2両目をつなぐ連結器(※2)の近くのドアに立っていました。連結器のすぐ手前に、新品の柔道着を着た男の子が座っていました。その反対側には、ペンキがあちこちに付いた作業着を着た、初老のガッチリした男性が座っていました。
その男の子が、列車の振動で揺れる連結器をのぞきに行きました。僕がアッと思った瞬間、その男性がドスのきいた大きな声で、ひと言だけ怒鳴りました、「コラ!」と。男の子は跳ね返るようにして席に戻りました。電車に乗っていた人達はみな驚いて、その男性をガン見していました。
電車が新静岡駅に着き、男の子は電車を降りました。すると男性が男の子の横に並んで歩き、こんなことを話していました。
「連結はとても危ないんだ、近づいちゃダメだ」「何年生だ?」「そうか1年生だから柔道着もキレイなんだな、柔道は楽しいか?」
そんなことを話しながら、まるで古くからの親友のように、新品の柔道着とペンキだらけの作業着は人混みに消えていきました。
最近は、他人の子を叱る風景を見なくなりました・・・これでいいのかな?と思うのは僕だけでしょうか・・・
※1遊園地ではありません、静岡鉄道です。
※2僕もそうでしたが、男の子にとって電車の「連結器」は、とても好奇心をくすぐられるものなのですよ!
久しぶりに病気になっちゃいました。急性虫垂炎、いわゆる盲腸と腹膜炎です。「あれ?なんかおかしいなぁ?」と思ったらあっという間に進んで、緊急手術になっちゃいました。
盲腸や腹膜炎の手術は、外科としては大きくはない手術で、もう何百人したのか分からないぐらいしました。でも自分が手術されるのはもちろん初めてでした。自分が患者さんになってみると、もう知りつくしていたはずの盲腸、腹膜炎でも、また、その治療でも新しい発見がたくさんありました。
その発見で盲腸の患者さんの診察、治療が変わることはありませんが、まだまだ知らないことがあるのだなぁと勉強になりました。医者は一生勉強ですね(^_^)b
と書かれて心当たりのある方はいませんか?実際の事件でも小説でも女性のウソがよく出てきます。今回のテーマは、唐突ですが「女性のウソ」です。
学生の時、法医学の実習で警視庁の科学捜査研究所に行きました。そこでポリグラフ、いわゆるウソ発見器の実習をしました。カラダに電線を貼り付けて、色々な質問にすべて「いいえ」で答えて器械で反応を見るのです。
僕が実験台になった時、ウソをつくとメーターのハリが大きく振れてバレバレでした(^_^;)ところが女の子が実験台になった時、ウソをついても針は大して揺れませんでした!(^^)!しばらくその女の子は「私はウソつきじゃない」と言っていましたが(^。^)
心理学の教授が、個人的な意見と前置きして、女性はウソをつく前に『まず自分をだまして』ウソを真実だと思い込んでしまうのでしょう、と言っていました。
というわけで男性はコロッと女性にだまされてしまうのが世の常なのですが、くれぐれも、悪用してはいけませんよ!
小さい時、「ウソをついたらウソ発見器にかけるよ」と母に言われましたが・・・これもウソでした(>_<)
夜、布団の中で考えました。外科医として、美容外科医として、今までで一番難しかった手術はどの手術だったのかと。10時間以上かかった手術、一か八かの癌の手術、色々な手術が浮かんできました。でも、自分の気持の中で、一番難しかった手術は、目の不自由な方の美容外科手術であったと思います。
その方は付き添いの方と一緒に診察室に入ってきました。子供の頃に視力をほとんど失ってしまったそうです。その方は僕に言いました。
「私は鏡で自分の顔を見ることも出来ません。でも、目が不自由だから仕方ないとは思われたくないのです。手術の結果を自分の目で確認することも出来ません。でも、すべてをお任せしますから、最適な手術をしてください。」
最初、僕は言葉が出ませんでした。癌の手術だったら癌を取りきる、目を大きくしたいなら目を大きくする手術。どんな手術でも目的は決まっているのです。でもこの患者さんの場合は、目的も全て僕に任せると言うのです。本人には見えないのですから、『誰が見ても』自然でキレイに見られ、しかも「整形美人」にはしない『最少』の手術を選ばなくてはいけません。これが一番難しかったと思います。
どんな手術をしたかを書くと広告っぽくなってしまうのでナイショですが㊙、2年ぐらい経ってその方からお手紙をもらいました。「その後、出会いがあり、結婚して子供も生まれました」と書かれていました。医者には時として、病を打ち負かせず、悔しさで眠れない夜もあります。しかし、この手紙を読んだ時、医者になってよかったなぁと思いました。