院長コラム
ラ・クリニカは開院18周年を迎えました。これも、何度もご来院頂いてる多くの患者様のおかげと、スタッフ一同、心から感謝をしております。
ラ・クリニカは開院18周年を迎えました。これも、何度もご来院頂いてる多くの患者様のおかげと、スタッフ一同、心から感謝をしております。
当たり前のことですが、人は一人一人異なります。たとえ一卵性の双子でも全く同じということはありません。勉強が得意な子がいれば苦手な子もいます。走るのが得意な子がいれば苦手な子もいます。これは外見にも内面にも言えることですがこれが個性というものです。
発達障害、身体的障害など障害という言葉を耳にすることは少なくありません。では障害と健常の境目はどこにあるのでしょうか。お役所的には・・・が出来なければ第2級の障害などとしていますが、実際の現場での判断は非常に難しく、厳密に言えば境目を厳密に設定することなど医学的に不可能なのです。つまり厳密に言えば境目などないと思います。
人の個性は様々な色にたとえることが出来ると思います。例えば下の図のようにグリーンのAさん、ブルーのBさん、ピンクのCさんがいたとします。
そしてAさんがいわゆる障害者、Bさんが健常者だったとします。でもグリーンとブルーの境目なんてありませんよね。ということは区別なんてつかないし、区別する必要もないのです。ですから僕は障害なんてものはなくて個性の延長、個性の一つだと思います。「障害者を助ける」という言葉も耳にしますが僕は、「得意な人が不得意な人を手伝う」ただそれだけの当たり前のことだと思います。
今年ももう残り少しですが、今年一年、どれだけの人を手伝って、どれだけの人に手伝ってもらいましたか?
色んなネコを飼ってみて分かったのですが、性格や得意・不得意、個性があるんですね(^o^)/~~~
今年の夏はやはりあっという間に過ぎ去ってしまいました。残ったのは日焼けと顔のシミだけ(T.T)、なんて話ではありません。日本の中でも静岡県は太平洋戦争で多くの犠牲者を出した県だそうです。短くても、日本の夏、静岡の夏が戦争の記憶抜きには過ぎ去らないという方もまだまだ多くいらっしゃいます。
日本では夏になると戦争に関する色々な行事が行われ静岡も例外ではありません。でも秋の訪れと共に薄れてしまうような気がします。今皆さんが美しくいられるのも戦争を経験した方やその後の復興に努力した多くの方々のおかげだと思います。戦争が起こってしまったら美しい顔も悲しい顔になってしまいます。すべての女性が美しい笑顔を保てる社会がいつまでも続くようにしなくてはならないと思います。
アニメはほとんど見ない僕ですが、数年前、このアニメにはやられてしまいました(^^ゞ僕は小学校2年のある日に、どんなに悲しいことがあってももう二度と泣かないと固く心に決めたのですが・・・このアニメには「やられて」しまいました。このアニメは毎年、夏になると放送されるのですが、見ると必ず「やられて」しまうので(^_^;)放送のある日は必ず飲みに出かけます(お酒を飲む言い訳をしているのではありません^_^;)
今日やっと静岡の梅雨が明けました(^O^)/夏の初めを首夏と呼ぶそうです。これから暑い夏が始まるのかぁなんてげんなりしている方はいませんか?でも夏だって暑くていやなことばかりではありません。汗でベタベタする夏こそお風呂が一番気持ちいい季節だと思います\(^O^)/
不快指数が上がる夏の日こそ絶好のお風呂日和です。不快だからこそお風呂がより気持ちいいのだと思います。夏に限らず、季節に限らず、つらいときでも、つらいからこそ逆に楽しいことがあるのだと思います。
とはいえもう8月ですね!今朝クリニカに来る時、もぅ秋の香りがするなぁなんて思っていたら梅雨明けだというのでビックリしました。今年の夏は短そうです、「暑い~(Q_Q)↓」なんて言わずに短い夏の楽しみを見つけてもらえればと思います。
みなさんが手術を受けなくてはならないことになったとします。でもあなたの町に外科医は二人しかいません。一人は手先がとても器用ですが雑な外科医。もう一人は不器用ですが丁寧な外科医。この二人しかいません。あなたはどちらを選びますか?
僕だったら後者、不器用だけど丁寧に手術をしてくれる医者を選びます。手先の器用、不器用ということは天性のものであり、致し方ない部分もありますが、練習など努力で補えるものだと思います。
ところが「雑」ということは心や気持の問題です。心や気持の姿勢がよくないということだと思います。だから雑はいけないと思います。そしてこのことは手術に限らず、どんな仕事でも、また人間関係などにもあてはまることだと思います。
自分が器用か不器用かはなかなか自分では分かりにくいと思います。でもたとえ不器用でも心や気持の姿勢が丁寧ならば最終的にはよい結果が待っていると思います。どんなときでも「雑」はいけないと思います。
白髪だらけになりましたがまだまだ手先は器用でネズミなんか朝飯前です(^O^)/(努力はしてないと思いますが^_^;)
それは僕が小学校1年の夏のことです。当時の僕は学校が終わるとランドセルを玄関に放り出してすぐ遊びに行ってお腹が空くと家に戻って腹ごしらえをしてまた遊びに行くという生活を繰り返していました。そこで問題だったのは、腹ごしらえに帰った時に母がいないと冷蔵庫のものをかたっぱしから食べていたことです。晩ごはんの残りなどだけではなく、僕は晩ごはんの材料のお肉などを生で食べていたのです(^^ゞそんな毎日を送っていた僕にとうとう天罰が下り(当たり前なのですが)僕は疫痢(小児に見られる重症型の赤痢)になってしまいました(^_^;)そして国立伝染病研究所の隔離病棟に強制入院させられてしまいました。
今はもう赤痢なんて珍しい病気になっています。しかし当時の夏の初めの隔離病棟は赤痢の患者さんで満室でした。でも大人は回復も早くどんどん退院してゆきました。でも僕は身体も小さく(朝礼ではいつも一番前)体力も弱かったので入院が長く、秋が近づく頃まで入院になってしまい最後は病棟に一人きりになってしまいました。夕方になるとどの病室も暗くなり一人ぼっちの僕はとても寂しかったのです(自業自得?)そんな時、毎日夕方になると僕を膝に乗せて話をしてくれる看護婦さんがいました。もう顔は忘れてしまいましたが今でもその看護婦さんの温もりをハッキリと覚えています。特に大きなナースキャップは目に焼き付いています。今でも、ナーキャップを付けてキリッとした看護婦さんを見るとなぜか安心感を覚えるぐらいです(僕は決してナースキャップフェチではありません)。それに比べて主治医の印象は全く覚えていません。
この時のことを思い出して思うのは、それほどに看護婦さんの存在が大きかったということです。このコラムを読んでくださっている方の中には看護士さんもいるかもしれません。激務で疲れ果ててしまっている看護士さんもいるかもしれません。でもそんな看護士さんに思い出してもらいたいのは、看護士さんは自分が思っている以上に患者さんから信頼され、そして頼りにされているということです。また看護士さんでない方には、看護士さんが目には見えない形でも頑張っているということを知ってもらいたいと思います。
5月になろうかという時に静岡で「満開になりました」なんて言うと何を今頃と思われるかもしれませんが、静岡もやっと満開になりました\(^O^)/何が満開かというと「葉桜」が満開になりました\(^O^)/
桜の花は散ってしまいましたがその代わりに葉桜が満開になったのです。いえ桜の木だけではなくすべての木が満開になりました。桜の季節も好きですが僕は葉桜の季節が大好きです。葉桜が広がってくると、まぶしい日差しが優しい木漏れ日に変わり、吹き抜ける乾いた風も爽やかな風に変わります。木々の緑は強い日差しや雨、風から私達を守ってくれます。でもそのことに気付いている方は意外に少ないと思います。自分を守ってくれているもの、自分を守ってくれている人に気が付いていない、ということは少なくないと思います。
ちなみに葉桜は正確には三分葉桜、七分葉桜と表現し、花がすべて散った状態が厳密な意味での「葉桜」で、満開とは言わないそうです(^^ゞまた食べて香りを楽しむのは大島桜で、きれいな桜の葉っぱを食べてもダメだそうです(^_^;)
今回はクリニカの内幕について暴露します、なんて大げさなものではないのですが。実は・・・クリニカでは毎日ご飯を炊いています!(^^)! 毎日ご飯を炊いている開業医なんて滅多にないと思いますし、「ご飯を炊いている美容外科かぁ」と笑われることもあります。でも僕は健康にも美しさにも「食」が大事だと考えるのでクリニカをオープンする時に電気屋さんで一番美味しそうな炊飯器を買ってきました。
医食同源という中国の言葉をもじった美食同源という言葉を聞いてことがありますが、まさにその通りだと思います。よく食べて良く動く、これは新陳代謝を活発にしますから健康はもちろん美容やアンチエイジングにも百利あっても一害なしです。衣食住という言葉がありますが、心の豊かさ、そしてその豊かな心の表れとしての美しさにもっとも重要なのは、衣よりも住よりも食だと思います。小食で、か細くて今にも折れてしまいそうな美人なんてドラマの中だけだと思います。美しい女性の第一条件=よく食べて良く動く、だと思います。
ある日の某看護士の昼食(なぜかこの日は小盛でした∈^0^∋)。この日は小豆など雑穀入り玄米を炊きました、ふりかけなども見えますが、おかずは各自持参しています。そして、なぜかたいていは食事の後に・・・デザートが付いているようです!(^^)!
昨年の大晦日、仕事が終わって途中からでしたが紅白歌合戦を見ていて、南米の日系人の方達のことを思い出しました。僕が南米のチリに住んでいたことは以前書きましたが、チリに行く前は、紅白なんてどうせ歌謡番組なんだからなんて思って見ませんでした(救急当直で越年ということが多かったせいもありますが^_^;)。
南米に移住した人達は言葉では想像出来ないぐらいの苦労をされてきました(数年前、日本の総理大臣がブラジル日系人の前でのスピーチで嗚咽(おえつ)を漏らしたことがありましたが、それぐらい過酷だったのです)。そんな日系人の方達が楽しみにしていたものの一つが紅白歌合戦でした。最初は、「そんなものなのかなぁ」と思っていましたが日本を離れて時間が経つにつれて自分でも気がつかないうちに日本語が恋しくなり、日本の歌などが恋しくなっていました。そんな時日系人の方から借りた紅白歌合戦のビデオ(DVDなんてありませんでしたからテープはもうボロボロでした)を見て、自分の中にある日本がこんなに大きかったんだと驚いたのを覚えています。
日系の方達がもう一つ楽しみにしていたのがNHKドラマの「おしん」でした。日系といってももう日本語を忘れてしまった方や二世、三世で日本語を話したこともない方も少なくありません。ですから現地で放送されていたおしんは吹き替えられてスペイン語を話していました!(^^)!
何でこんな話をするかというと、日系人の方達は古き良き日本を持ち続けているからです。今では「おしん」なんて知らない方も多いでしょうが、日系人の多くはおしんのような、まだ日本が貧しかった時代に渡航された方がほとんどです。言いかえれば今の日本が無くしてしまったものがまだあった時代に渡航されたのです。そして現地の日系人社会でその頃の日本を持ち続けているのです。ですから日系人にとっておしんは昔話ではなく現実の話だったのです。紅白やおしんを見て日系の方は自分の中の、遠い日本を確かめていたのかもしれません。日系人社会は想像を絶するような苦労の中でも、老人を敬い、自分も人も、そしてモノも大切にし、困った時は助け合ってきました。
日本にいて、毎日のニュース見ていると、もぅ「節操(せっそう)」という言葉が日本からなくなってしまったのかと思うほどにあきれかえることが少なくありません。
日本に生まれ、そして育ち、僕はとても幸せだと思います。でもだからこそ思います、日本がホントに危ないと。景気がいいとか悪いとかではなく、置いてきてしまったものを取り戻さないとこれこそ本当に危ないと思います。
「おらぁ(私は)コモエスタです」と言っているのではありません。スペイン語で「やぁ、こんにちは」と言っているのです(^_^;)
ちなみに、クリニカでも「おしん」を知らない世代がいるので(T.T)付け加えますが、貧しさゆえに7才で奉公に出された女性の物語です。