実りある単調さ?
ラ・クリニカは開院19周年を迎えました。これも、何度もご来院頂いてる多くの患者様のおかげと、スタッフ一同、心から感謝をしております。
ラ・クリニカは開院19周年を迎えました。これも、何度もご来院頂いてる多くの患者様のおかげと、スタッフ一同、心から感謝をしております。
大震災からもうすぐ4ヶ月が経ちます。今でも毎日ニュースでは被災地の様子がたくさん伝えられてきますし、復興、復旧にはまだまだ長い時間が必要です。しかし幸いにもほとんど被害を受けなかった静岡は震災前の落ち着きを取り戻したように見えます。そんな静岡ののどかなニュースを見ていて、ずいぶん昔に読んだ本の中の言葉を思い出しました。
あまり有名ではないのですが、イギリスのバートランド・ラッセルという人(哲学者、論理学者、しかも数学者でノーベル文学賞も授賞しています(@_@;))が書いた『幸福論』という本に出で来る言葉です。この本は、どのようにしたら人は幸せになれるのか、ということについて書かれた本です。
この本の中で彼は、「Fruitful monotony(フルートゥフル・モノトニー)」という言葉を使っています。Fruit(フルーツ)は果物ですから直訳すれば「実りある単調さ」ということになります。単調ということは言いかえれば退屈ということですが、そんな単調さに実りがあるってどういうこと(?_?)と僕も最初は思いました。
彼は子供の教育、幸福に関する部分でこの言葉を使っています。子供に楽しいことを与えすぎると、成長や発達に必要な「好奇心」が無くなってしまい幸福を感じられない大人になってしまうと彼は書いています。しかしこの言葉は解釈によっては大人にも当てはまることだと思います。
毎日朝起きて、いつものように仕事や家事をして、いつものようにご飯を食べて、いつものように疲れて、いつものように眠る。ほとんどの方はほとんど毎日が同じことの繰り返しだと思います。僕も同じですが、この単調な、言いかえれば退屈な繰り返しを何年、いえ何十年も繰り返す方がほとんどだと思います。でも震災に遭われた方たちの生活をニュースなどで見ていると、この退屈な毎日を繰り返すことが出来る、ということはとても恵まれた幸せなことに思えます。
「あ~ぁ今日も一日終わっちゃった。特に楽しいこともなかったなぁ」なんて思うこともあるかもしれません。でもそんな毎日を送れること自体がとても恵まれていること、幸せで実りのあることで、しかも毎日が単調だからこそ幸せなことがあったときの嬉しさ楽しさも大きくなるのだと思います。
『晩鐘』 1858~1859 ジャン=フランソワ・ミレー
夕方、教会の鐘の音を聞きながら祈っている夫婦はやせた土地で毎日・毎日ジャガイモ畑を耕しています。
決して裕福とはいえないような単調な毎日が続いていても、決して感謝を忘れない夫婦を描いた絵だと思っていましたが、ミレーは亡くなった人達への祈りも込めてこの絵を描いたのだそうです。